娼年がすごい
「ぼくは何人もの女性たちとセックスした。年齢は二十代から七十代まで。ぼくの体重の半分くらいの人も、一・五倍くらいの人もいた。誰ひとり似た人はいないのに、振り返ってみるとただひとりの女性を抱き続けていた気がする。」
私は一体何を求めて、セックス、あるいはSMも含めた性行為をするのだろうか?
「娼年」の主人公リョウは、男性版娼婦となって様々な女性達と性行為をする。
リョウは幼い頃に突然の事故で母親を亡くしている。
リョウは年上の女性が好きだ。しかも亡くなった時の母親と同じ年代の女性だ。
リョウは単なる熟女好きではない。年上の女性達を「性的対象」としてだけ見ているのではない。
リョウは無くした母親の姿を、「運命の女」の幻影を数多の女性たちとの性行為のベッドの上に見ているのである。
それは私にも当てはまるのでは?
フランス語に「femme fatale」という言葉がある。運命の女、あるいは男を破滅させる悪女、という意味があるらしい。
私もいつか、私だけのファムファタールを見つけ、そしてその人にとってのファムファタールになれるのだろうか。
全くもって嫌気がさすよ。結局人生の救いが、ごく普遍的な「愛」だなんて。
でもまあ、自分が心から愛し、愛される人に破滅に導いてもらえたらサイコーかもしれない。なんて、私もなかなか大衆化してるじゃない?サイテー